★Figure Skating Forum★

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★みんなのコラム&スポットBlog★ - フォーラム管理人 (?)  URL

2009/04/17 (Fri) 03:21:57
*.ocn.ne.jp

皆様のフィギュアスケート関係のコラムや考察など
Blogを持たない人でも気軽に自己表現をする場として利用して下さい。

競技会の感想…
選手への愛情溢れるコラム…
ルールなどへの考察…

みなさんの自己表現をお待ちしています。


【BBS内コラムルール】

雰囲気を悪くするものや違法行為・公序良俗に反するものは禁止です

スケーターやBBS参加者の誹謗中傷は禁止です

選手や関係者などのプライベート情報は禁止です

誘導的な論議を醸し出すような内容は禁止です

閲覧者及び関係者が不愉快と感じる文章表現は禁止です


フォーラムには大勢の方が訪れます。
そして、様々な選手のファンが読んでいます。

書き込む内容には客観的にみて、不快感を持たせるような内容にならないよう、書き込みには十分ご注意下さい。

競技結果や採点などに異論があっても、選手達は皆精一杯やっております。
選手批判にならぬよう各自責任を持って発言してください。

公共の場として最低限のルールを守れない方の書き込みは禁止いたします。

当フォーラムは無法地帯のような掲示板とは一線を画します。

ココは匿名掲示板とは違う、直接お話をしているような感覚で会話している気持ちで投稿してくれる事を望みます。

利用してくれる皆様が、その様な気持ちになれば、素晴らしいフォーラムとなることでしょう。

国別対抗初日を観て - kママ (?)

2009/04/17 (Fri) 03:41:03
*.bbtec.net

新トピックス有難うございます。

えっと、一言で言うなら・・

何故私はここにいるのおおおお!です。

ライザチェック選手の「ボレロ」を堪能し、ジュベール選手の指差しに会場で「きゃああ~ v_P_603_P_ 」と叫びたかったです!

そして安藤選手の「SHAYURI」にうっとりして真央ちゃんのSPの3Aをこの目で観たかったです。

「月の光」は優しく穏やかな気分になる好きなプログラムです。

本当にもったいないです。いかなきゃもったいないです。
いけなくって本当に残念でした。
しょうがないのでもう一度録画で楽しみたいと思います。

王者のプライド―ソルトレイク・スキャンダルに思う― どら@1492 (?)

2009/04/23 (Thu) 02:01:55
*.ocn.ne.jp

 新採点システム採用のきっかけの1つともなった、ペアそしてアイスダンスをも巻き込んでのソルトレイク・スキャンダルですが、以前これにについて書いたものを引っ張り出してみました。


   <賢明なる敗者たれ ―王者のプライド―>

 フィギュアスケートは採点競技であり、ジャッジという人間が選手という人間を採点し勝敗を決めるものです。ですから、どれほど厳密なシステムを作成しても、それを運用するのは人間なのですから、不平不満は出るものです。それが、採点競技の宿命でもあります。 選手たちは、ジャッジという人間に、自らの、それこそ運命をも委ねなければならない。ジャッジたちは、信頼を持って、それに答えなければならない。それは、マスコミやわれわれファンにしても同じこと。ジャッジへの不信感を表明する、ということは、競技に対する冒涜にもなりうる、ということなのです。
 この、本来ならあってはならない審判への不信、から起こったのが、ソルトレイクのフィギュアスケートのペア競技で起こったスキャンダルでした。
 カナダのサレー・ペルティエ組はSPで2位につけ、優勝を狙える位置にいました。そして、FSでは全ての要素をミス無く完璧に行い、『Love Story』を演じきります。勝利を確信したペルティエは、リンクにキスをし、サレーは自分自身の完璧な演技に信じられないという表情、観客は総立ちとなり大喝采。まるで勝利が決定したかのようでした。 既に演技を終えていたロシアのペアは、男性がステップアウト、という小さなミスがありましたから、完璧な演技に見えたカナダペアの逆転優勝を誰もが確信したのでしょう。 けれども5:4で彼らは2位の評価。逆転はなりませんでした。

 しかし、この結果に満足出来ない北アメリカのメディアによる、ジャッジングへの大バッシングが開始されます。
 2001年の同時多発テロの記憶も生々しく、北米でのナショナリズム感情が高まりを見せていたのも、要因のひとつであったかもしれません。そして、その中でフランスの審判員がフランス連盟の会長から「(アイスダンスのアニシナ・ペーゼラ組を勝たせることと交換に)ロシア・ペアを勝たせてくれ」と言われていたと発言したという報道がなされ、事態はますます悪化。国際スケート連盟のオッタビオ・チンクアンタ会長の強引な裁定によってフランス人審査員の評価は取り消され、4:4のタイでロシア組とサレー・ペルティエ組の2組に金メダルが与えられる、ということになりました。
 北米のメディアはかなりアツくなって報道していましたが、他の国のメディアはどちらかというと静観、といった雰囲気だったためか、大国のエゴがむき出しになったようで、どうにも後味の悪い収束でした。
 確かに印象には個人の差があるのでしょうが、ジャッジをマスメディアの力で捻じ曲げてしまってよかったのだろうか?将来に禍根を残すのでは?と正直思ったものでした。

 この、カナダのサレー・ペルティエペアは、同じカナダの男子シングル選手、エルヴィス・ストイコと大変仲がよく、彼の引退セレモニーでは、涙を浮かべるサレーの姿が映し出されています。
 そして、最初逆転がならず、リンクサイドで泣き崩れるサレーを、エルヴィスがやさしく抱きしめ、慰めていた、という光景も目撃されています。それはあたかも、傷ついた娘を優しく抱きとめる慈父のようであった、と報道されていました。

 しかし、そんなエルヴィスですが、彼はこの事についてコメントを求められ、

「かれらは、Good loser(賢明なる敗者、とでも訳したらいいでしょうか)であるべきだった」

と述べています。
 いかに不服であっても、ジャッジの裁定はジャッジの裁定。従うべきものであり、そうされなかったら競技の機軸すべてが揺らいでしまう。信頼を持って、受け止めるべきなのだ。と、彼は言いたかったのでしょう。
 そして、ジャッジには従うべきであっても、屈服するわけではない。そうやって自分は戦ってきたのだ、という自負が彼にはあった。

 ヘミングウェイは言っています。
「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれる。」 と。

 勝者のみが強者なのではなく、敗者は必ずしも弱者であるとは限らない。

    
 まさに、“公明正大に勝ち、また、威厳をもって敗れてもきた”エルヴィスでした。 そんな彼だからこそ、同国人であり、そして親友でもある彼らにこのようなコメントを出すことが出来たのでしょう。

 これからの、五輪を含むフィギュアスケートの選手権全てが、Good winner(賢明なる勝者)、そしてGood loser(賢明なる敗者)を生む大会であるよう、願って止みません。そしてそれは、われわれファンやマスコミの態度にもかかっているのだ、と思います。

(写真はサレー・ペルティエペアとエルヴィス・ストイコ)

王子さまは波乱万丈 ―元祖・氷上の貴公子、ペトレンコの辿った道― - どら@1492 (?)

2009/04/30 (Thu) 01:17:14
*.ocn.ne.jp

 hiron さん、丁寧なご感想ありがとうございました。ペトレンコについて、以前書いたものがあったので・・長くなるのでこっちのトピにしました。読んでいただけたら嬉しいです。

*********

まず、こちらをごらんください。1992年ワールドの表彰台です。優勝はヴィクトール・ペトレンコ。2位が長年彼と鎬を削ってきたライヴァルでもある、カナダのカート・ブラウニング。3位がカナダの新鋭、としてめきめき頭角を現してきた同じくカナダのエルヴィス・ストイコでした。

そして、つぎにこちらを。
この表彰台の中央にいる、ペトレンコの演技の記録動画です。

(1991年ワールド)
1991 Worlds, Exhibitions - Viktor Petrenko (URS)
http://www.youtube.com/watch?v=ow-wPzoi0_U


(1992年アルベールヴィル五輪)
Viktor Petrenko (EUN) - 1992 Albertville, Men's FP
http://www.youtube.com/watch?v=IeFrpD9MhvY&feature=related


(1992年ワールド)
Viktor Petrenko (CIS) - 1992 Worlds, Men's FP
http://www.youtube.com/watch?v=gb1SqIrHVN4&feature=related


彼の国名(名前の後ろの括弧書きのローマ字3文字)が、2年の間に3度、変わっているのにお気づきでしょうか?
そう、1991年のワールドには、ソヴィエト連邦。出のときにも、
「ヴィクトール・ペトレンコ、ソヴィエト・ユニオン!」
と声がかかっています。
しかし、ソ連崩壊で、翌年のアルベールヴィル五輪は旧ソ連統一チーム(EUN)として参加。
そして、同年のワールドには、グルジアの参加で独立国家共同体(CIS)が正式に発足していましたから、独立国家共同体(CIS)として参加。その際、「ロシア史上初の男性五輪金メダリスト」として紹介されていますから、CISのなかでも、ロシア共和国の所属だったのだと思われます。

けれども、アルベールヴィル五輪では、優勝者は、五輪旗で表彰されましたから、彼はフィギュアスケート男子シングル史上、唯一の、自国の国旗・国歌で祝されなかった五輪金メダリストとなったわけです。
オリンピック選手は、国のために戦うわけではありません。しかし、自国のたくさんのライヴァルたちと戦い、勝ち抜き、そのライヴァルたちの夢や応援してくれる人々の期待をも背負って出場してくるわけですから、そのシンボルとしての自国の国旗、国歌によって祝福されてこそ、報われる、というものではないのでしょうか。

足元がぐらついている、ともいえるこの動乱の中、彼は1991年のワールドでは準優勝、(優勝はカート・ブラウニング)、1992年はアルベールヴィル五輪とワールドの2冠を達成しています。練習環境の不備や変化も多かったことでしょう。並大抵の精神力ではありません。
そしてこのワールド優勝後、彼はプロスケーターとしての道を選び、アメリカへと渡ります。

そして、ボイタノ・ルールによって、プロ選手の復帰が認められたリレハンメル五輪。彼は再び、五輪のリンクに姿を現します。

Viktor Petrenko (UKR) - 1994 Lillehammer, Men's Free Program
http://www.youtube.com/watch?v=daenrrQnFDM


画面上の選手名の下の国籍は(UKR)。
彼が最終的に選び取った国は、出生地オデッサのある、故国ウクライナでした。
このとき彼はプログラムに『リゴレット』を使用していますが、冒頭に使われているのが『女心の唄』。これはとりようによっては痛烈な皮肉にも感じられます。

まさに、彼の選手時代(特に後半)は、女心ならぬ政情に、それこそ “風のなかの羽根のように” 弄ばれてきたといっていいでしょう。しかし、そこにあったのは、風に飛ばされる羽毛ではなく、自らの道を見失うことなく研鑽を積み、しっかりと歩を重ねた、真の貴公子の姿でした。  

ロシアのサーシャは影薄か? その1 - どら@1492 (?)

2009/06/07 (Sun) 00:58:39
*.ocn.ne.jp

サーシャと言いますと、アレクサンドルのロシア風の愛称ですが・・・このアレクサンドルという名前、アレクセイ(アリョーシャ)、セルゲイ(セリョージャ)と並んで多い。ぱっと思い浮かぶだけでも、アブト、ウスペンスキー、スミルノフ、ファデーエフ・・・。

しかし、このサーシャ・アレクサンドルですが、この名前のスケーターって、結構影の薄い選手が多いんですね。不思議なことに。

抜群の技術を持ち、1983年のワールドでは、練習の際にクワドを決め(五十嵐さんの目撃証言あり。サラィエヴォ五輪では公式練習の際に成功させ、映像として残っています)。しかしこのサラィエヴォでは、ハミルトンの明るさに、そしてコンパルソリー(規定)トップを取ったカルガリー五輪ではブライアン対決の迫力とペトレンコの華やかさに隠れてしまった感のあるアレクサンドル・ファデーエフ。

美形で、スケーティングも美しく、手足長くてリンク映えする姿態、そして軽々とクワドも跳んでのけたにもかかわらず、ウル、ヤグ、プル、といった強烈な個性に負けてしまったかのように、いまいち大きなタイトルに縁のなかったアレクサンドル・アブト。           

 ジュニアで華々しくデビューし,nhk杯で来日した際にはひさしぶりのロシアの王子様だ、と期待されつつ今いち一皮剥け切れてない、アレクサンドル・ウスペンスキー。                 

どうも、サーシャと言う名は影薄の傾向があるかのようです(笑)

というわけで、そんなサーシャに光をあててみました。今回は、サーシャ・アブト。

以前、彼の演技を見せたら、友人から「不良っぽくて素敵」という感想を貰ったんですが、ワタシのアブトのイメージっていうと2002年ソルトレイクシーズンのこれですね。
    
同じラフマニノフでも、セリョージャとも大ちゃんとも違う。まさに、王子様のラフマニノフ。しなやかで美しいです。
Alexander Abt 2002 Europeans LP
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=XdgAIamDJgg&feature=related


同年のショート。長い手足が存分に生かされてます。冒頭のクワドが綺麗だなぁ。当時の男子はSPでクワド跳んであたりまえ、4-3決めなきゃ最終グループに残れない、という時代でした
Alexander Abt 2002 Olympics SP
http://www.youtube.com/watch?v=wQH8EnPS9uI&feature=related


そして、長い手足を生かしたバタフライが本当に美しかった。エルヴィスの力強いそれとはまた違う・・・ポジションの綺麗な、本当に蝶が舞っているようなバタフライでした。

そして、これは翌年。『ボレロ』         Alexander Abt - Bolero
 http://www.youtube.com/watch?v=ThL1EbUhREc&feature=related
 

最後に、プロとしての彼。2006年、赤の広場でのアイスショーです。
大人っぽくなって、ちょっと野性味もでて、カッコいい男になりましたね。
Alexander Abt - Gasolina
http://jp.youtube.com/watch?v=FcLVLNpVvrQ&feature=related


それこそ、いま、アブトが現役だったら、ダントツのメダル候補でしょうが・・・

そういう意味では生まれた時代が悪かったのか、それともヤグプルタケシ、そしてティモシー、ワイス、チェンジャン・・・といった、綺羅星のごとくすばらしい選手たちが輩出された時代だったから、サーシャもまた、競い合って輝くことができたのか・・・・
         
それはだれにも判りません。ただ、ファンとしては勿体無かったなぁ、と思ってしまうのです。しかし、選手としての彼は 素晴らしいライヴァルたちと切磋琢磨して過ごすことができて、幸せだったのかもしれません。           

クワド―最高の選手には最高の技術を―  - どら@1492 (?)

2009/08/27 (Thu) 23:47:23
*.e-mobile.ne.jp

皆様はじめまして。私はセルゲイ・ヴォロノフ(セリョージャ)のコーチを務めておりますアレクセイ・ウルマノフと申します。

昨シーズンのご報告や、来シーズンに向けての抱負など、申し上げねばならぬことはたくさんございますが、今回はジャンプ、それもクワドラプル・ジャンプ(4回転ジャンプ)の技について、お話してみたいと思います。

ワールドの戦いで、バトル君、エヴァン君,と2年続けてクワドレスのチャンピオンが誕生したり、クワドの伝統の根強いユーロの戦いでも、コンテ君が入賞したりと、多回転ジャンプのような高い技術を要するものよりも、スケーティングそのもの、いかに美しく、しなやかにすべるか、ということが要求されていたように思われます。地道な、基礎的な技術のほうを、ジャッジの皆様方は評価なさった、ということですね。
 ですから、上位を目指すについて、現時点では必ずしもクワドは必須ではなくなった、ともいえるのかもしれません。

しかし、わが国では、ナショナルの際に、「クワドをクリアに決めたものにはボーナス点を与える」というローカルルールが存在するほど、クワドにはこだわりを持っております。そう、最高の選手は最高峰の技術を持っていなくてはならない、という信念があるからです。
思い起こせば私の現役時代、あれは1994年のことでした。エルヴィスと私は「技術と芸術との戦い」などどいわれておりましたが、もしも本当にそうであったならば、私は日本のマクハリで行われたワールドで、クワドに挑戦することはなかったでしょう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7849816

あのころは、今よりはるかに転倒における点数的なダメージは大きゅうございました。そして、転倒は端でご覧になるよりはるかに選手にダメージを与えるものです。実際このとき私は普段ならなんでもないトリプルルッツをステップアウトし、結果として二つのジャンプを失敗してしまいました。
クワドを入れず、この年、リレハンメル五輪で金メダルを取ったときと同じ構成でこのワールドも戦っていたならば、金、とはいいません、少なくともメダルは取ることができていたかもしれません。

しかし、私に後悔はございません。

世界最高の選手は最高の技術を持つべきであり、また、つねにそれに挑戦してゆくべきなのです。それが、アスリートの魂というものなのです。

最高峰の技術とは,美しさをも併せ持つものです。日本のみなさまであれば、ミドリやタケシのジャンプをご存知かと思います。
そう、機能美、とも申しますか、優れたクルマやバイクのフォルムが、どんな彫刻にも負けない美しさをかもし出すように。

私の知る限り、国際大会でプログラムに初めてクワドをお入れになったのは、わが国のファデーエフ先輩です。あれは、1983年のワールドでのことでした。
http://www.youtube.com/watch?v=AOdV4_cs9PY

残念ながら両手タッチダウン、という結果でございましたが、男子でさえトリプルアクセルを持つものが少なかった当時、これは大変画期的なことでした。そして、このクワドをプログラムの中ではじめて成功させたのがカート氏、1988年のことでした。なんと、このときから5年の月日がたっておりました。
練習の際、クワドを降りたものはおります。いくつもの映像も残っております。しかし、プログラムのなかで成功させる、というのはこれほどにも困難なことなのです。

そういった困難に向かう選手たちは相応の評価を受けるべきですし、成功にはそれなりの賞賛が与えられなければなりません。

ユーロの際、コンテ君のクワドレスでの入賞などもあり、記者などからセリョージャのプログラムからクワドを抜くことは考えていないのか、と口々にいわれましたが、私は答えました。
「そういったことは、私とセリョージャとの2人の話し合いにのぼったことすらありません。」と。
セリョージャも私もクワドレスで戦うことなど考えたこともありません。
いままで、SPで4-2であったクワドをワールドでは4-3へと、そしてFSでは単発であったクワドをコンビネーションへと、ステップアップして来たセリョージャです。クワドなしで戦うことなどまず、彼の頭にはないでしょう。

もちろん、基礎的な技術を磨くのは大切なことです。が、高いものを目指す、というのも忘れてはならないことです。

長くなりました。これから、五輪にむけて、後輩たちはまずは、国内での戦いに勝たねばなりません。ジェーニャも帰ってまいりましたことですし、セリョージャも安穏としてはいられないことでしょう。

みなさまには、皆様ご贔屓の選手の次、くらいでよろしゅうございますので、セリョージャ、ルーティカ、そして還ってきたジェーニャ、といったわが国の選手たちにご注目くださるとうれしゅうございます。

花は何処へ行った byアレクセイ・ミーシン - どら@1492 (?)

2009/08/28 (Fri) 23:31:35
*.e-mobile.ne.jp

 ウルを、ヤグを、そしてプルを育てたミーシン教授。彼が新採点システムについてどう考えているのか。ちょっと古いインタですが。
(昨日のウルのはフィクションですが、これは本物です)

:::::::

 かつてフィギュアスケーターは、図形を描くことで競い合っていた。それは花や、風景などだった。しかしこのような試合は長くは存在しなかった。

 審判にとって、バラとチューリップとではどちらが優れているのかを判定するのは非常に難しかったからだ。

 そこでスケーターたちは、チューリップとバラの代わりに円形に変更することに決めた。円を2つ、円を3つ…全員がまったく同じことをやるのだ。それによって、審判は各選手の技術を引き比べて評価したり、勝者を決定しやすくなった。しかし、この試合形式も時とともに変わっていくだろう。見ていて退屈で、面白くないからだ。


 新採点システムで各選手が目指すのは、面白いものや美しいものではなく、レベル4を取れるスピンやステップやスパイラルだ。高いレベルを得ることへの要求はとても厳しい。その結果、どのプログラムを見ても非常に似通った(言い換えれば高いレベルをとりやすい)エレメンツ構成になっている。

 しかも、こうして審判が各々の技術を比較しやすくなる方向へ仕向けている。だから今では、本当の花を見ることはとても困難になった。 

 バラやチューリップは稀になってしまった。

そしてその周囲には、同じ白で、同じ品質の花びらを持つカモミールがたくさん群生しているにすぎない。

 現行ルールは、スケーターとコーチたちを、チューリップやバラを創り出すことではなく、自身の技術を同じような手段でデモンストレーションするように誘発している。
 そのため審判側には、フィギュアスケーターの技術を最大限に公正に比較し、評価できる(実際にはそうなっていないことも多いが)可能性が出てくる。
 見方を変えれば、スピンは今では全体としてより多様になり、ステップはより複雑になった。その方がレベルが上がり、ひいては勝ちにつながるからだ。

後略

2009年1月17日
『オールスポーツ』

<原文>
http://www.allsport.ru/index.php?id=22877

「審判とも戦っている」―マウンドの精密機械と銀盤のダンディー - どら@くわどすきー (?)

2011/02/15 (Tue) 21:24:28
*.e-mobile.ne.jp

一流のアスリートは、誰であれ、自らの技術にプライドを持っています。しかし、それが必ずしも常に審判に本人の思うように評価される、とは限りません。ひらたくいえばジャッジも人間ですから、誤審もあれば癖もある。しかし、それをひっくるめて戦ってゆくのがアスリートというものだ、と私は思っています。

分野は全く違いますが、そんな、思い出深いアスリートを2人。

まずは、「20世紀最後の200勝投手」であり、カープの黄金時代に先発の一角を担っていた北別府学。
彼のボールコントロールは「針の穴をも通す」といわれ、『マウンドの精密機械』と称されていました。ホームベースの三角形部分に置いた空き缶を5球で倒した(もちろんマウンドから投げて、です!)とか、コーチ時代にTV番組『筋肉番付』のストラックアウトでパーフェクトを達成したとか、制球力に関する話題は列挙に暇がありません。
そんな彼が、いつだったか解説で
「最近のピッチャーはおとなしいですよね。僕らのころは審判とも戦っていましたよ」
といっていたことがあります。そう、抜群の制球力を誇り、それで勝負していた彼は、球審の判断の揺らぎ、にはものすごく厳しかった。厳しいコースへの判定に不服があると、平然ともう一度同じコースに投げ、審判を試すことすらしました。そして、判定にブレがあると、遠慮会釈なく判定にクレームをつけていました。当時のセ・リーグの審判部長を務めていらした田中俊幸さんが「他の投手が先発した試合の倍は疲れた」とインタビューでおっしゃっていたことがあります。
そしてこの北別府のものすごいところは、審判それぞれの癖を研究し、知り抜き、いざ、というときの勝負球にそこを使うことすらした、ということです。
あるシーズン後のTVインタビュー、印象に残った打席、という感じである強打者との対戦場面がリプレイされました。2ストライク後、北別府の放った球は膝元に食い込む変化球。センターカメラから見た球道は、どうみてもボールに見えました。しかし、一瞬の間をおいて球審の手が上がり、
「ストラックバッターアウト、チェンジ!」
呆然とする打者、それを一顧だにせずにスタスタとマウンドを降りる北別府。本当に印象的な場面でした。

「あれはボールだったでしょう・・」といいたげなインタビュアーに、
「いえ、あの球審のあのコースはストライクなんです。」と、平然と言ってのけた彼。
「じゃあ、それを知っていて、あの時あのコースを使ったんですか?」
「はい」

まさに、『マウンドの精密機械』の面目躍如でした。

ルールも、審判も、最初から選手の味方なわけではありません。それを研究し、対処方法を考え抜き、その技術を身に着けた者に対して初めて味方となるものです。そんな努力を怠って、
「このルールは、審判はおかしい」
などといっても、それは負け惜しみに過ぎません。



そしてもう一人、「銀盤のダンディー」という言葉が彼以上に似合う人も少ないでしょう、いかに歳を経ても、彼こそが「永遠の王子」という人は多いと思います。「貴公子」と呼ばれだしたのは彼が最初ではなかったでしょうか、ヴィクトール・ペトレンコ。

そんな彼の忘れられない言葉があります。
「選手ならば誰しも、納得のいかない判定、というのは経験している。だからこそ、こんどこそは自らを認めさせよう、と必死に努力する。スケーターとは、そういうものだ」
これは雑誌のインタビューでの言葉だそうですが、おそらくこう述べた彼の脳裏には1990~1991年と、連続2位だったワールドがよぎっていたのではないでしょうか。
とくに1991年のワールド。当時カート・ブラウニングの大ファンだった私ですが、正直、「あ、負けたな」と思いました。それだけペトの演技はすばらしかった。
Viktor Petrenko (URS) - 1991 World Figure Skating Championships, Men's Free Skate
http://www.youtube.com/watch?v=h9ri8VJc-zA

すばらしい盛り上がりと歓声、会場を一体化させるオーラ・・・
本当にすばらしかった。ペトの表情からも、演技への満足、勝利への確信がうかがえます。
実際、翌日のEXでは、解説の杉田さんが「私もペトレンコの優勝だ、と放送の中で言ってしまうくらいすばらしかったですね」と述べておられます。
PETRENKO.V 1991EX
http://www.youtube.com/watch?v=8aKpB6a0y5w
ちなみにおなじEXのアンコール付きの方
http://www.youtube.com/watch?v=o9ViTp7okUg

こちらは優勝したカートの演技。
Kurt Browning (CAN) - 1991 World Figure Skating Championships, Men's Free Skate
http://www.youtube.com/watch?v=jRvH6uOcslU&feature=related
冒頭に2人のプロフィールが入っているのも興味深いですが・・・

しいて言うなら、3Aのセカンドにトリプルをつけたカートに対しダブルだったペト、そして3Loが2フットになってしまったこと、それがわずかの差でのカートの優勝となったのだろう、と思います。しかし、改めて見比べると、本当にどちらが勝っていてもおかしくなかった。

カートのインタビューと表彰式です
Kurt Browning Interview + Medals Ceremony 1991 World Figure
http://www.youtube.com/watch?v=kdIxMTpoCUA&feature=related
表彰台で惜しみなく勝者であるカートを讃えるペトが印象的です。そして、当時の若手であったトッドを迎える(!)姿も。

そして翌年、ペトはアルベールヴィル五輪とワールドの2冠を達成します。ソ連崩壊で足元の揺らぐ中、「旧ソ連統一チーム」「独立国家共同体」代表としての出場でした。

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